「 歴代理事長おゝいに語る 」
《 座 談 会 》
(創立15周年 1973年 [昭和48年] )
※当時の議事録原文

明るい郷土の建設を目指し発足した上野青年会議所も創立15周年を迎え、さらに躍進する一つの節とするために歴代理事長にお集まりいただき過去のあゆみをここにひもとき今後の進むべき道を示唆していただきたく座談会をひらかせていただきました。
上島 良久(初代理事長)
稲打 孝治(6代理事長)
山田 耕作(9代理事長)
角  舎利(12代理事長)
堀川 弘一(3代理事長)
家喜 豊生(7代理事長)
左橋萬次郎(10代理事長)
田淵 弘造(13代理事長)
沖森 敏彦(4代理事長)
岡森  孜(8代理事長)
沢野 周男(11代理事長)
桃井 房夫(14代理事長)
※2代目理事長、関田嘉吉(庄司)君は、仕事の都合上、
当日上野にご不在のため、欠席されました。
司会者:中 陽之助 (15代理事長) 編集:広報委員会

司会:  歴代理事長さま、おいそがしい中、集まりいただきましてありがとうございます。15年周年を迎えるにあたり、理事長時代の思い出や、今後の青年会議所活動へのご意見をお聞かせいただきたいと思います。最初に初代理事長の上島良久君から設立の苦労話しや1年半にわたる理事長時代の思い出など・・・。
上島:  戦後の退廃した情況下で上野には対外的なクラブ組織というものはなかったときですが、猪木艶様より青年会議所という一つの組織があることを知らされ、四日市青年会議所をおとずれ、いろいろお聞きして3代目の堀川君外、市内の若者7、8名に話してみたところ、賛同をえて、発足に至ったわけです。
司会:  認証伝達式や事業活動の思い出は・・・。
上島:  設立当時会員27名で発足し、4月11日産業会館において日本JC副会頭石川君列席のうえ式典を厳粛に執り行いました。これを機に私たちの若い力をあわせて地域発展のために尽くすことを誓いあいました。
また列席のみなさまには芭蕉翁遺跡を案内し忍者の話などを紹介し、祝宴には上野らしいものにしようと野趣に富んだ名物でんがく(田楽)をごちそうしました。
司会:  そうですか。伊賀の郷の珍しい趣向に来賓の方々も喜ばれたことでしょう。
 では二代目関田さんの時代には、おおいにノミニケーション(?)をモットーとされていたわけですが・・・。
堀川:  確かにノミニケーションが盛んでしたね、その中から会員の友情と親睦が芽生えました、初代が種を蒔き、それが芽生え、大切に育てたのが関田君で、二人は良いコンビでしたね。
家喜:  当時県下JC野球大会で優勝しましたし、現在例会で歌われている「若い我等」は関田理事長時代から始まったのですよ。
司会:  文春講演会など開かれたそうですが・・・。
岡森:  あの当時、大仏次郎氏外2名を招いて講演会を開きました。
司会:  二代目理事長の時代はゆるやかなよい時代であったようですが、3代目堀川君の時はいかがでしょうか・・・。
堀川:  私の時代もゆるやかなよい時代でしたよ・・・(一同大笑い)
 日本JC10周年の年で、上野JCも中央公民館で盛大に家族会、お月見パーティーと銘うって開いたことを記憶しております。また、先進地見学としてサントリー山崎工場を見学に行った事が思い出深いですね。
司会:  理事長として、当時会員によく云っておったことがあるそうですが・・・。
堀川:  上島理事長の所信をひきつぎ、上野は上野らしく、地道に事業活動をやろうと会員によく理解を求めましたね。
司会:  それでは、4代目沖森理事長時代になるわけですが・・・。
沖森:  私の時は、全国大会は岐阜で、東海地区大会は津で開かれた年で、上野JCも3年間の活動基礎ができあがって来た年でもあり、対外的な面に目をむけ、各大会に会員が参加し団結と親睦をはかったと思います。また、市民にも会議所活動が認められ、上野の市政に一団体として参画できるようになりました。また一方地道な活動とともに、例会出席率も他にみられない非常に優秀な成績で、東海地区やブロック協でもその実績が認められ、故五代目理事長久保君の時代に名張JCのスポンサーとして、高く評価されたのだと思います。
司会:  現在も、先輩の良き伝統をつぎ、例会出席率、年間80%以上を超えております・・・。
 もう5代目理事長の時代に入っているようですが・・・。
稲打:  故五代目理事長久保君の冥福を祈り、全員で黙祷しよう・・・。
    (全員起立して黙祷)
家喜:  久保君の時代は5周年記念事業として水銀灯の寄贈や記念誌の発行、さらに名張のスポンサーJCとして活動した時代でしたね。
司会:  この時県の野球大会で第2回目の優勝もしましたね・・・。
沢野:  そのときの野球大会は、家族会の汐干狩りをかねて行きましたので、カァチャンの応援があったので優勝できたようなものです。
司会:  6代目稲打理事長時代ですが・・・。
稲打:  市民に日刊紙を通じて正しいJC活動を知ってもらうために始めて新聞記者との座談会を開催し、また三重ブロック協議会長堀川君を上野から出したのが思い出ですね。
堀川:  稲打君にはいろいろお世話になりました。
司会:  7代目家喜理事長時代の思い出は・・・。
家喜:  上野に初めて献血車「まごころ号」をもってきて献血をしたこと、例会ゲストに初めて女性のゲストを招いたことを覚えております。
司会:  8代目岡森理事長時代に入りまして・・・。
岡森:  学力調査問題が県ブロック事業としてとりあげられ、上野JCも、中野文部政務次官を招いて、文部省の考えなどを聞くとともに「学力に関するチラシ」を市民に配布した事がありました。
 また、交通問題の一環として真夜中にライン引きをやったことがあります。これもJCらしいJC活動として残っておりますね・・・。
司会:  9代目山田理事長の時代に移るわけですが・・・。
山田:  県ブロック会員大会を上野で開催したことと、社会開発に取り組みかけた年でした。
 その他では、献血運動の強化と文春講演会などを開き市民に青年会議所を理解してもらうよう努力しました。
司会:  ひきつづき10代目左橋(萬)理事長時代ですが10周年記念式典など・・・。
左橋  10周年にあけて、10周年に暮れたといってもよい年であり良く学びよく遊びました。
 一つ残念なことは、10周年記念事業の一つとして取り上げた。社会開発計画のアンケートの挫折ですね。しかしこれを契機に後年立派な結果を見たのはせめてものなぐさめです。
司会:  11代目沢野理事長になりますと・・・。
沢野:  私のときは、社会開発に明け、社会開発に暮れた年でありました。会員全員が市民に対しアンケートの配布、回収、集計と一丸となってやりました。また、過去の献血運動を組織化するために上野青年会議所献血会も当時結成発足いたしました。県下JCではじめてのJC会計を研究し取り入れたのもこの年です。
司会:  12代目角理事長のときはどうでしたか・・・。
角 :  私の時代は、過去の献血推進運動が実り、厚生大臣表彰をはじめ、関係機関からの表彰を多くいただきました。また社会開発についても前年の集計を分析し報告書を完成したことが思い出として残っております。
その結果地域社会に密着したものにしようと上青連(上野青年団体連絡会議)を結成発足したこと、薬師寺でお茶会を開いて大成功であったことなども思い出されます。
司会:  13代目田淵理事長の時代に話しを移しますと・・・。
田淵:  一番の思い出は上野JC後援でD51三重連による「JC赤とんぼ号」が大阪より来野したことです。当日台風の中を来野し、帰途がけくずれのため近鉄電車に振替をしたときJCの友情をいかんなく発揮し、大阪JCに厚い感謝を受けました。その他水質検査や公害問題セミナーを開きました。
司会:  スポーツ理事長の14代目桃井君は・・・。
桃井:  社会開発計画の第二弾として青年の生活調査を実施し、報告書を作成するとともに、市内の青年150名を招き「青年にとって郷土とは何か」をテーマに大討論会を開いたことと、上野JCスポーツクラブを結成し、全会員がスポーツを通じた和と体力作りに力を入れた年でした。
司会:  最後に今後の上野青年会議所に望むことをひとことづつお願い致します。
形式やスマートさにとらわれず、なかみの豊かなJC事業及び活動を展開されることを望みます。
15年間のあゆみを十二分に生かし、また創始の心を失われぬよう望みます。
青年会議所の三信条を忘れず仕事も、JC活動も立派に両立出来るよう望みます。
青年会議所は人間形成の修行の場である事を忘れないよう。
時代の流れに促応した活動をやってほしい。
JC時代に悔いのないよう。
JC活動を発展させるには、退会者の退会理由と新入会員の十分な銓衡を考えるよう望みます。
会員である間は、JC活動に打ち込むべきである。
会員の若さをおおいに生かせ。真実を忘れぬ事。
空論におわらず、実行してほしい。
司会:  歴代理事長のご教訓と、15年間の歴史の中の情勢の積み重ねをよくかみしめまして、次なるスタートとして努力して行きたいと思います。
 本日は長時間どうもありがとうございました。

(1973年当時の議事録原文)